船上と陸、二つの海峡ラーメン

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 青函連絡船の海峡ラーメンは昭和51年頃に生まれました。売り上げの落ち込みを回復する為に生まれたメニューでしたが、多い時は3時間50分の1航海で300食を売り上げたそうです。(ソース:北の鉄ちゃんの部屋さん)

 当時連絡船に乗って撮った写真がこちらの写真です。しかしまだ撮り慣れていないというか、資料としては甘いので色々調べて見た目だけでも当時の海峡ラーメンを再現してみることにしました。

 こちらがネットで色々調べてリメイクした連絡船の海峡ラーメンです。船内では写真のしお味のほかみそ味もありました。登場の昭和51年から臨時運航終了の昭和63年9月まで12年間、津軽海峡の船上で親しまれたラーメンです。下の記事で作り方をご紹介しています。


 そして昭和63年3月に青函連絡船は運航を終了、同年の青函博に協賛して夏~9月まで臨時運航が行われ青函連絡船は運航を終わりました。その頃函館駅前に「海峡」というラーメン店がオープンしました。青函連絡船の食堂を担当していた鉄道弘済会が「青函連絡船の海峡ラーメンを味わえるお店」として始めたものでした。

 しかし連絡船上のものと全く同じではなく、具材が少し異なっていました。思うに陸では朝市付近のラーメン店も競合になります、「海峡らしさ」をアップする為に少し豪華にしたのではないかと思います。しかし業者との付き合いもありますから、麺やスープは連絡船と同一、そんな感じだったのではないでしょうか。

 連絡船の海峡ラーメンと比べもやしがエビに変更になっています。実際にお店で出されていたのは甘エビ位の有頭エビ2匹だったのですが、スーパーで手に入らなかったのでエビのみ妥協してリメイクしています。

 そんな「海峡」も2008年には閉店してしまいました。正確なオープンは覚えていませんが、連絡船が終航となった1988年位からなので約20年間函館の人、訪れた観光客に親しまれたラーメンです。

 こうやって時系列にしてみると本家12年、陸に上がって20年ですから終航から時間が経ったのだなと実感します。

 青函連絡船現役当時の「BILL(明細書)」。当時「記念に」とお願いして1枚貰ってきたのですが、現在なら通し番号で厳重に管理され「1枚勝手に」などということは叶わなかったでしょう。当時で海峡ラーメン1杯500円でした。次は資料を集め鮭三平汁定食も再現してみたい所です。


青函連絡船物語

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