クモハ100重連が牽引する、伊豆急行線の貨物列車
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先日から伊豆急行の電車牽引による貨物列車について色々疑問点を書いたり、Xに呟いてたりしていましたが、少しずつ当時の姿が分かってきましたので、ご報告を致します。
■ クモハ100重連による牽引
ED25入線前と、ED25の検査時には両運のクモハ100が貨物の先頭に立っていたとまでは知識があったのですが、実際に当時の写真を見るとクモハ100の重連で牽引していたようです。
「RM Re-Library 16 東急5000系と伊豆急100形―東急車輛製のエポックメイキング電車」の82ページには当時の写真があり写真の様に重連で運用に就いています。
そしてクモハ100のパンタグラフは伊東方です。伊豆急行にはターンテーブルがありませんので、向きは現在も変わらずです。伊豆高原駅脇に保存されているクモハ103もやはりパンタは伊東方です。
この写真は正面に「廻送」のサボを掲げています。後述しますが、「貨物」のサボもあった様です。
RM Re-Library 16 東急5000系と伊豆急100形―東急車輛製のエポックメイキング電車(Amazon)
■ 連結器
そして電気機関車や貨車は自動連結器ですが、クモハ100をはじめとする100系は密着連結器です。「連結器をどうしていたのか?」という疑問ですが、上の写真では中間連結器を用いています。
100系末期のイベントでは黄色く塗られた中間連結器を装着したクモハ100の写真を見た事がありますが、この写真では黒っぽいので鉄の生地そのままの様に見えます。
写真はJR線で見かけた中間連結器です。中間連結器を密着連結器の前に装着すると、自動連結器との連結が可能になります。
■ ワフ11
伊豆急の貨物というと外せないのが「ワフ」ですが、こちらは車掌室を伊東方に向けて連結する様です。こちらも転車台が無いので向きは変わらなかった筈です。
ところで伊豆急のワフ11は「トミーテック(TOMYTEC) TOMIX Nゲージ 南部縦貫鉄道 ワフ1・ワム11形タイプ貨車セット 8749」のワフが木造車体に鉄扉、妻面の窓配置、側面の窓2つという点が一致します。
異なる点は写真で見えている側の乗務員扉が南部のものは右側の窓が扉の窓ですが、伊豆急のものは左側の窓が扉の窓です。写真の反対側は伊豆急も南部も同じでした。
南部の文字を消して伊豆急の昔のマークを貼ってあげれば「伊豆急行ワフ11タイプ」位にはなりそうです。
トミーテック(TOMYTEC) TOMIX Nゲージ 南部縦貫鉄道 ワフ1・ワム11形タイプ貨車セット 8749(Amazon)
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■ 更に調べていたら・・・
更に調べていたら上の様なポストに出会うことが出来ました。本より詳細に編成の様子が分かる貴重な写真たちです。
ポストされたご本人様が貨物の形式迄特定されていましたので、それぞれの形式の換算両数を調べてみました。ワフ11の換算両数は分からなかったので、模型で流用した南部縦貫のワフ1の換算量数を入れています。
換算空 | 換算積 | |
クモハ101 | ||
クモハ10X | ||
トキ25000 | 1.6 | 4.0 |
トラ45000 | 0.8 | 2.6 2.0 |
ワ12000 | 0.8 | 1.4 |
ワム70000 | 1.0 | 2.0 |
ワム70000 | 1.0 | 2.0 |
ワフ11 | 1.0 | 2.0 |
貨車換算計 | 6.2 | 14.0 |
貨物の現車は6両ですが、換算両数は積車14両、空車6.2両という計算になりました。
まずは「国鉄をはじめこの時代の電車はMT比1:1なので、T車+自車の積分位の重さを引っ張れるんじゃないか?」という素人考えで計算してみました。
例えばクモハ115の換算が積5.0、空4.5、クハ115の換算が積4.0、空3.5ですから、クモハへの乗客の載り込みなしと考えると(4.0+0.5)×2で換算両数で9両位なら牽引出来るという話になります。
空車の6.2両は余裕ですが、積車の14両はどうなのでしょうか?写真をよく見るとトキ、トラは空車っぽくも見えますので、そうすると有蓋車が積車でも換算両数は10両切ります。
今となっては真実は闇の中ですが、換算10両位が常識的な所だったのではないかと思います。
ちなみにこのポストの写真はヘッドライトの周辺が濃色になっています。あくまでもクモハ103の話ですが、1963年の写真では淡色で1964年の写真で濃色になっていました。1964年以降の写真ではないかと思われます。
逆に中間連結器は明るい色なので、先述のイベント同様黄色に塗装されていたのではないでしょうか。
ちなみに代走の代走でクモハ100の代わりに片運の車両が運用に入ることは無かったのか?という話ですが、昭和43年3月にクモハ100の4両のみに貨車を牽引する為の何らかの改造が施されている様です。
他の車両に施した情報は無いので、代走の代走で片運が貨車を牽引したという話は無さそうです。
60年近く前の話なので調査も困難を極める状況ですが、少しずつ当時の分かってきました。現在分かっている範囲の知識で編成を組んでみましたが、こんな感じで貨物を輸送していたのではないかと思います。これは下り列車という想定です。
また分かったことが出てきましたら記事を更新していきたいと思います。