東塩尻信号場跡(1)

 東塩尻信号所はかつて中央本線岡谷-塩尻間旧線(通称:辰野線)に存在した信号場跡です。信号場とは簡易な駅みたいなものと解釈してもらえれば分かりやすいかと思いますが、みどり湖駅を通る新線が開通してからはみどり湖駅を代替駅として昭和58年に廃駅となりました。今日はその跡地を巡ってみます。

 辰野線の森側にそのスペースが残っていました。枯れた草に覆われ既に駅という雰囲気はありませんが、奥にプラットフォームらしきものが見られます。

 近づいてみるとそこはまさに駅です。ところで信号所とは現在では「転轍機や信号が装備された停車場」と定義されていますが、国鉄時代には信号場でも旅客扱いが行われていた場所があり、この東塩尻信号所もそんな旅客扱いをする信号所の一つでした。

 プラットフォーム上に存在するこの駅名標の枠がここがかつての鉄道施設であることを物語っています。

 短いプラットフォームの上にはこの駅名標の他、奥にはスイッチボックスのようなものも存在します。

 ところで何故ここは東塩尻駅ではなく東塩尻信号場なのでしょうか。国鉄時代の旅客扱いをする信号場は「駅>信号場」というイメージでしたので駅と呼ぶには十分な装備がないことが挙げられます。実際この信号場のホームも長さは約20m列車車両1両分です。

 実際検索エンジンなどで「東塩尻信号場」などと検索してもらうと扉の開いた車両の下にホームが無いような写真も見つかります。昭和58年までのおおらかな時代の話でホームドア工事が着々と進む令和の時代では「国鉄の本線でホームの無い車両から飛び降りたり、よじ登ったりしていた」という話は想像すら出来ないかもしれません。

 奥側から見るとこんな感じです。この信号場の右側を本線が走っているイメージです。

 プラットフォーム奥側の端。表面には苔が載り人工物が自然に還ろうとしていますが、黄色と黒の警戒色は鉄道施設らしい名残です。

 そして更にホームの奥には線路が続いています。長編成の貨物列車などが退避するのに使用されたと思われます。

 途中木の切り株が線路を押し上げている箇所がありました。1両何十トンもの車両が入っても十分に支えられるだけの道床なはずですが、自然の力の凄さを思い知らされます。

 当時の利用者が捨てたものか、その後やってきたものが捨てたものかは分かりませんが、錆びて穴が空いています。ここ数年だけではこの味は出せません。

 終端はこのような感じになっていました。車止や車止標識などは当時は勿論存在したのでしょうけど現在は跡形もなくなっています。

 山奥にひっそり残る信号場跡。山の中にあるような場所なので当時は利用するにも山道を登っていかなくては辿り着けないという感じでしたが、現在はみどり湖駅が完成し、平地に編成分のホームも設置されていますのでとても快適です。

 しかし山奥にひっそり残る小駅跡というのも雰囲気があってなかなか良いものです。次回は周辺の様子をお届けします。

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