ひたちなか開運鐵道神社「キハ222」の半生

 昨日ひたちなか開運鐵道神社をご紹介しましたが、そこで御神体となっているキハ222について今日は色々と解説していきたいと思います。こちらの記事を読んでから改めてこの車両を見て頂くと、もっと愛着が湧くのではないかと思います。

 キハ222は北海道の羽幌炭礦鉄道で活躍する為に昭和37年に製造されました。国鉄の北海道用の一般型気動車キハ22とほぼ同型です。当時は石炭産業が盛んな頃で炭鉱にも勢いがあり羽振りも良い時代です。国鉄型の気動車を導入する位は簡単なことで、キハ221-223と3両を新車で導入しました。

 「時刻表 完全復刻版 1964年9月号」 を見てみると当時で1日8往復、運賃は築別から終点の築別炭鉱まで60円だったようです。


時刻表 完全復刻版 1964年9月号

 しかし昭和45年12月15日、先立って炭鉱経営の行き詰まりから閉山したことを受け羽幌炭礦鉄道も廃線となってしまいます。しかし車齢10年に満たないキハ221-223は海を渡り茨城交通の湊線で第二の活躍を始めます。ちなみに昭和58年頃までは羽幌炭礦鉄道で活躍していた頃のカラーで運行されていたようです。

 廃車後2009年頃まで阿字ヶ浦駅に留置されていたキハ221。このマルーンに白い帯が羽幌炭礦鉄道カラーです。

 現在の築別炭砿駅跡付近の様子です。左のコンクリートは石炭の積み込みポケットで下側にセキを入れて上から石炭を積み込みます。この設備を載炭ホッパーと呼びます。実際旅客駅の築別炭砿駅はこの奥側に存在しましたが、写真の様な草むらで痕跡を見つけるのは難しいところです。

 55年位昔にはここをキハ222が石炭を積み込まれるセキを横目に毎日エンジン音を響かせながら通過して行ったのだと思います。

 羽幌炭鉱駅の痕跡はありませんが、築別川を渡る橋梁はそのまま残っています。戦時中の物資不足の中資材をかき集めて作った鉄橋だけに橋桁の大きさがバラバラです。こちらの橋はキハ222が誕生する遥か前から存在し、築別坑、羽幌坑からの石炭を輸送する為にSLが通過していきました。

 2011年に撮影したキハ222が現役の頃の写真です。ひたちなか海浜鉄道の前身である茨城交通ではこれら20系気動車を国鉄塗装に塗り替えていました。一般色、急行色、準急色と仲間が塗り替えられた中でキハ222は旧気動車色になりました。

 しかし本当の旧気動車色というのはクリーム色部分も黄土色という感じですし、青ももっと濃いくすんだ色です。旧気動車色と呼ぶには全体的に明るい色なのですが、キハ222はずっとこの色だったので今となってはこの色のほうがしっくり来ます。

 そういう意味では神社として化粧直しされた時も本当の旧気動車色にせず今回の様な明るい色にして正解だと個人的には思います。キハ222はこの色なのです。

 しかし2015年に引退したキハ22はその後那珂湊機関区から阿字ヶ浦駅構内に移動され留置されていました。写真は2020年の姿ですが、廃車から5年も経つと無残な姿になってしまいます。しかし「勿体ない」「保存するべきだ」というのは簡単ですが、実際塗装し直すとなると400万円位かかりますし、その後の維持費の心配もしなければなりません。

 しかしその様な中「三鉄ものがたり実行委員会」が中心になって車両をレストアしてこの様な美しい姿にしてくれました。その費用はクラファンで賄われたようですが、今後の維持のためにはここを多くの方が訪れることも重要になってくると思います。

 しかし「何故に神社?」と思うかも知れません、これは将来的には観光資源として今後もこの車両を維持していくために必要な費用も捻出していくことまで考えられた計画なのです。とりあえず那珂湊駅窓口でお守りと神札が用意されていますが、今後もまだ御朱印など色々充実してくるようです。

 約50年も走ってその長寿命だけでも凄いところですが、大きな事故がなかったという縁起の良い車体でもあります。また歴史を見てみると、昭和、平成、令和と生き延びて、更に令和になってピカピカに化粧直しされたりしたのですからとても運のいい車両でもあります。

 もしこの記事を読んでキハ222に興味を持ったなら是非阿字ヶ浦駅を訪れてみて下さい。下の記事で「ひたちなか開運鐵道神社」を紹介しています。

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