旧中山宿駅(資料用写真)
本サイトの記事にはアフィリエイト広告が含まれますが、記事の内容は中立性を保つ様、細心の注意を払って編集しております。
磐越西線の中山宿駅はかつてスイッチバック駅でした。現在の駅は会津若松方の本線に停留所形式で移設されていますが、スイッチバック駅時代の駅のホームなどが一部残されて見学できる様になっています。
国道49号線から少し入った場所に旧中山宿駅は存在しました。駅舎等建物こそ取り払われていますが、ホームが残っているとかつてここが駅であったことが分かりやすいです。奥に架線柱が見えますが、そこが磐越西線の本線です。
この場所はかつての駅前ロータリーではないでしょうか。駅までの送迎にタクシー、乗用車が通ったであろう場所です。
現在の中山宿駅と間違えない様駅名標は「旧中山宿」となっていますが、磐梯熱海、上戸は今も昔も変わりません。ホーム中央に植木のあるいかにも国鉄時代のローカル駅という佇まいに安心感を覚えます。
私が約40年前に来たときは電気機関車が荷物車2両と客車4両を牽引していましたので現車7両の編成でした。現在の2両編成の電車と比べると随分堂々とした編成だったものです。
比較的最近まで使われていた様な佇まいの左側のホームと対象的に右側のホームはかなり昔に使われなくなった様です。昭和60年の時点で既に使われていなかった様に思います。現在の中山宿駅は短編成が停車するだけの停留所と化してしまいましたが、随分広大で立派な駅だったことが理解できます。
郡山方の分岐側を見てみます。こちらの奥側は見学施設として公開していますが、分岐側の線路は保線基地として現在も利用されている様です。駅跡でも立ち入って良い場所といけない場所がありますので、注意が必要です。
駅の歴史が書かれた案内板とレールのオブジェがありました。
こうやって並べて見ると30kgレールから60kgまで大きさの違いがよくわかります。
歓迎の看板には蒸気機関車が描かれています。この中山宿駅周辺は1000分の25の勾配で蒸気機関車では勾配の途中停車してしまうと編成を引き出せなかったので、この様なスイッチバック駅が設けられていました。
客車列車の時代が終わり、現在のステンレス車両2~3両位の編成でしたら全く問題ない為、このスイッチバック駅も役割を終え廃止となりました。
分岐側には保線車両の標識があります。こちら側は現役路線ですから立ち入りはできません。この線路の先の方で本線と高さが同じになり分岐点となっています。左側に見える架線柱の高さもそれほど高くありません。
ちょうど本線を走る電車が通過しました。ホームから見ると僅か数百メートルでこれだけ高さが変わるので、やはり鉄道としてはかなりの急勾配と言えます。私が昭和60年にここを訪れたときは確か上を走る急行「ばんだい」を見送りました。急行「ばんだい」、特急「あいづ」が当時は走っていましたが、現在はどちらも廃止になってしまいました。優等列車が無くなったのもまたこの駅が必要なくなった理由の一つかもしれません。
鉄道アーカイブシリーズ 磐越西線の車両たち 会津春夏篇 [DVD]
航空写真で見ると山側にあった引上線部分は草でおおわれています。しかし濃い緑の木々が無い黄緑色の部分が扇状に広がっているので、ここがかつての引上線跡だと分かります。
住所 | 福島県郡山市熱海町中山城ノ脇7 |
ホームページ | 旧中山宿駅跡 – 観光スポット(現役時代の写真あり) |
近くの宿を探す | Yahoo!トラベル、楽天トラベル 日本旅行の「JR+宿泊」 |