根室本線 赤平駅

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 炭鉱で栄えた街である赤平市の炭鉱にまつわる遺構は数々紹介してきましたが、今日はこの街の玄関口であるJR根室本線の赤平駅を紹介したいと思います。現在はJR社員が常駐しない簡易委託駅ですが、石勝線が出来るまでは道東へ向けた北海道の大動脈である根室本線の主要駅の一つでした。

 石勝線が開業して40年、住友石炭が閉山して四半世紀以上が経過しますが、駅構内を見渡すと過日の遺構が数多く残っています。

 平成11年に建てられた地上6階建ての建物は「赤平市交流センターみらい」との合築で、更に言うと実態はその施設の一部が駅になっている感じです。JR社員は常駐せず日中は赤平市が駅業務を受託しています。ですから夜間や休館日は画面右側の通路から建物内を経由せずホームに行くことが出来ます。

 という訳で現在は簡易委託駅の赤平駅ですが、かつては主要幹線の急行停車駅でしたので、駅施設の各所に「風格」の様なものを感じます。これからそんな駅構内を色々と見ていきましょう。

 赤平駅は現在上下線共に大半の列車は駅舎に近い一番線から発車する、一線スルーの形態が採られています。

 「一線スルー」という言葉の意味を説明する前に、一般的な列車の運行方法について説明しておきますと日本の鉄道は昔は必ず左側通行というルールがありました。赤平駅で言いますと富良野方面へ行く下り列車は必ず1番線、滝川駅方面へ行く上り列車は必ず2番線、3番線ということになります。恐らく国鉄時代からJR初期まではそのような運用方法であったと思います。

 しかし鉄道会社からすれば少ない本数の列車でいちいちポイントを切り替えるのが面倒ですし、乗客側も出口に近い1番線の方が都合が良いので、現在は1日2本の列車以外は上下線とも1番線から発着します。この運用形態を一線スルーと言います。

 ただ一般的には一線スルーといえば通過列車を高速で通す為に、よく使うレール側(赤平駅ですと1番線側)のポイントを直線にします。しかし赤平駅の場合は昔ながらのY字のままですので本来の一線スルーではなく、「一線スルー的な運用」という方が正しいのかもしれません。通過列車も無く、ポイントを交換するのも勿体ないので現状これで良いのだと思います。

 富良野方面への下り列車が入線してきました。この駅ではお馴染みのキハ40系気動車の単行編成です。

 現在は一日僅か9往復の普通列車が通るだけのローカル駅といった雰囲気ですが、所属線区は根室本線ですからかつての幹線です。昭和56年に石勝線が開業するまでは札幌から道東への重要な幹線で、現在石勝線を走る特急「おおぞら」も滝川を経由してこの根室本線で新得へ抜けていました。

 特急「おおぞら」の他にも急行「狩勝」「阿寒」「摩周」「十勝」、夜行急行「まりも」や準急列車、そして客車列車による夜行普通列車なども走っていました。夜行列車の赤平駅発着は深夜でしたので、石勝線が開業するまでは幹線らしい眠らない駅でした。そして赤平駅は特急こそ通過していましたが、急行は全列車が停車する急行停車駅でした。

 そんなかつての「幹線主要駅」の雰囲気は向かい側の2~3番線に行くと見ることが出来ます。

 1番線の短いホームを見ているとローカル線という雰囲気ですが、長い2~3番線のホームは長大編成に対応した造りです。優等列車も数多く停車した痕跡が2~3番線には残っています。

 3番線側の雑草が生い茂っているこの場所はかつて貨物側線でした。北炭赤間や住友赤平で産出された石炭は専用線を通ってここ赤平駅から滝川や東室蘭へ運ばれていました。ここには数多くの石炭車が留置されていたことが容易に想像できます。

 そしてその奥のコンクリートの構造物は北炭赤間の原炭ホッパー跡です。駅からも赤間の精炭工場の堂々とした姿が見れたのだと思います。

 富良野方を見るとホームの先には信号扱い所があります。駅構内の転轍機や信号の取扱は全てここで行われていましたが、最盛期には大変忙しい現場であったと想像できます。

 昭和39年の時刻表を見ますと下り最終列車は釧路行き夜行普通列車で赤平駅1:00発、そして上りの一番列車は小樽行きの夜行普通列車で3:54分発で旅客列車だけで一日21往復が走っていました。更には貨物列車の発着もありますから、24時間稼働していた炭鉱同様、ここ赤平駅も24時間眠らない駅だったと想像出来ます。

 そしてこの信号扱所も次々に到着する列車の為にポイントをや信号機を切り替えるのが忙しかったのではないでしょうか。

 3番線ホームを見てみます。既に使われなくなったレールは赤錆びて雑草が生い茂っています。古い時刻表を見ても旅客列車で通過待ちなどは無さそうなので、貨物列車の待避に使われていたのかもしれません。札幌~道東の物資もまた石勝線が開業するまでは全てここを通っていました。

 2~3番線ホームには滝川駅方にもまだまだこの駅が幹線主要駅だった痕跡が残っていますので色々と見ていきましょう。

 滝川方の上り出発信号機は幹線らしくアングルの上に林立しています。現在稼働しているのは2番線の出発信号機(右端の赤を現示している信号機)だけですが、3番線~5番線の出発信号機も点灯はしていませんが残っています。

 3番線は先程の使用されていないホーム、4、5番線は貨物線用の出発信号機と推測します。

 そして左の白い×マークで覆われた標識は貨車の入換作業に使用する「進路表示機」です。大きな貨物ヤードに見られる装備です。滝川や東室蘭へ向けた石炭列車を組成する為に、ここで石炭車が忙しく入換作業されていたことが想像できます。

 こちらは出発合図器です。現在JRでは殆どが省略されていますが、国鉄時代は列車出発の許可は駅長の権限でした。下側の白色灯が点灯し、上側のラッパからブザーが鳴ると駅長が出発を許可したことになり、列車が出発できます。

 丁度写真を撮影していたら上り2482Dが到着しました。この列車は上下線の列車交換を行う為2番線から発車します。列車交換の為2番線が利用されるのは1日9往復体制の中、この2482Dと午前中の3476Dの僅か2本だけです。

 赤平にある住友石炭の立坑を見学すると石炭産業華やかし頃の街の姿が想像できますが、ここ赤平駅も丹念に駅構内を見ていくとこの街の華やかし頃の姿が見えてきます。


住所 〒079-1144 北海道赤平市美園町1丁目
ホームページ 赤平駅
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