函館本線 上砂川支線 上砂川駅跡

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※ 2024年5月中旬から10月にかけ建物補修工事が実施されますので、この期間中は建物内に入っての見学が出来ません。

 今回は元函館本線上砂川支線の終着駅「上砂川駅」跡をご紹介したいと思います。砂川駅からほぼ並行して走っていた歌志内線は昭和63年4月に廃線となってしまいましたが、こちらは函館本線ということで昭和の当時は廃線を逃れられました。しかし石炭輸送終了後の経営状態は厳しく、平成6年5月16日に廃線となりました。

 またこの駅は「上砂川駅」の駅名標の他「悲別駅」の駅名標も掲げていますが、これは「昨日、悲別で」のロケがこの駅で行われた縁で「悲別駅」は架空の駅です。


昨日、悲別で
(古い作品なのでAmazonで単行本はありますが、DVDは売っていないみたいです。)

 駅舎はほぼ当時のままですが、保存にあたり向きを90度変更してこの場所で保存されています。今私が撮影している(立っている)場所近くが当時駅舎のあった場所になります。しかし廃線から30年近くが経っていますので「当時のまま」と言われたら疑わない自然さです。

 駅入口に掲げられた木札、このノリは同じく「悲別繋がり」で悲別ロマン座の「やっていない」を思い出します。「昨日、悲別で」を知らないので何とも言えないのですが、作中に元ネタがあるのかもしれません。

 「あいているよ」とのことなので早速中に入ってみます。

 晩年は無人駅でしたが、元々は石炭産業で賑わう街の中心駅でしたから駅員常駐で切符の販売も行われていました。

 昔懐かしい出札窓口です。現在は特急券や指定券も自動販売機で購入できる時代ですから、一枚一枚切符を窓口で販売していた時代も遠くなりました。

 待合室の反対側は「昨日、悲別で」の展示コーナになっています。川野夏美さんのCDはAmazonで見つけることが出来ました。


悲別~かなしべつ~

 今は線路も撤去され再び列車が来ることはありませんが、かつては街の中心として多くの人や荷物を輸送した重要な駅である風格を駅舎に感じます。それでは折角なので外も見学してみましょう。

 ホーム側に出ると鉄パイプの改札ラッチが残っていました。列車が到着すると駅員さんはここで切符を回収した訳です。

 ホームもありますが、これも当時のものではありません。このホームと駅舎を時計回りに90度動かし画面左奥に動かすと当時の状態になるイメージです。

 この駅名標は廃線当時のものです。

 ホームにはスユニ60 218で郵便、荷物用の60系客車です。

 そしてこちらは車掌車のヨ8055です。レールの向きはこの向きが現役当時の向きになります。

 上砂川駅のさらに先を見ると三井砂川炭鉱の立坑櫓の跡が見られます。この立坑櫓も炭坑坑内輸送の役割を終え、その後無重力実験に転用されましたがその役割も終え現在は無人になっています。時代の流れを感じずにはいられません。

 周辺は広大な広場が広がっていますが、現役時代ここには貨物側線があり石炭車が何列にも並んでいました。先程の駅舎はこの右側にありました。石炭輸送華やかし頃を見てみたかったものです。

住所 〒073-0201 北海道空知郡上砂川町中央北3条1丁目3
ホームページ 旧 上砂川駅(悲別駅)
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