北海道連絡特急
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連絡船が無くなり使われなくなった言葉の一つに「北海道連絡特急」という言葉があります。今日は青函連絡船に接続することを目的としていた「北海道連絡特急」の話でもしたいと思います。
青函連絡船があった時代、上野発青森行の列車には東北地方に旅客を輸送する列車と、青森駅で青函連絡船に接続して北海道各地へ旅客を輸送するのが目的の列車と二種類の使命を持った列車がありました。そして後者の目的を持った列車が「北海道連絡特急」です。
分かりやすい例を挙げると、寝台特急「ゆうづる」には24系などの客車列車と583系を使用した電車列車がありました。客車列車は主に東北主要駅に停車して対東北地方で降車する旅客の利便性を考慮したダイヤとなっていました。
一方電車列車はその駿足を活かし一路青森を目指し、終点の青森駅で青函連絡船に接続、更に青函連絡船は函館駅でおおぞらや北海にバトンを引き継ぎ北海道各地へ旅客を輸送していました。
二種類の「ゆうづる」の速度差は西村京太郎氏の「終着駅殺人事件」でも取り上げられていました。現在も文庫本が発売されている様ですが、寝台特急を知らない世代ではストーリー中のシーンが想像しにくいかもしれません。
現在の東京ー新函館北斗は約4時間、青函連絡船の青森ー函館間の3時間50分とほぼ同じ時間で東京から北海道まで行ける様になり、将来東京から札幌までは5時間位で行ける様になりそうです。しかし青函連絡船のあった時代、飛行機無しで北海道へ渡るのは大変だったのです。