国鉄 万字線 朝日駅跡(万字線鉄道公園)

 本サイトの記事にはアフィリエイト広告が含まれますが、記事の内容は中立性を保つ様、細心の注意を払って編集しております。

 国鉄時代万字炭山やその周辺の炭鉱からの石炭輸送を目的として志文から万字炭山駅まで万字線と呼ばれる鉄道が存在しました。炭鉱閉山などの理由の為昭和60年4月1日に廃線となりましたが、途中駅の朝日駅とその周辺は「万字線鉄道公園」として保存されています。

 当時の木造駅舎は廃線から35年以上が経過しましたが、有志のボランティアのメンテナンスにより現役当時より美しい姿を保っています。

 裏手に回ってみましょう。パイプで出来た改札ラッチがかつてここが有人駅であったことを物語っっています。炭鉱閉山後も昭和53年頃までは駅員が常駐していましたが、その後無人化されたようです。

 石油を貯蔵するタンクや煙突が北国の駅舎であることを物語っています。

 奥にはホームも残っています。コンクリートの簡易な作りのホームですが、これは恐らく停留所化された時に新設されたものではないかと思います。かつては交換設備や留置設備があった朝日駅ですが貨物の廃止で列車本数が減り、無人化される前後にポイントを撤去して停留所化したのではないかと推測しています。

駅名標

 またホームにはB20型蒸気機関車が保存されています。新造当初は東北で活躍していましたが、晩年は小樽築港で活躍し廃車を迎えた機関車です。

 Bですから動輪は2軸の小さい機関車で入換作業に従事していました。現在日本に現存するB20はここの1号機と京都の20号機の2両のみです。貴重な機関車と言えそうです。

 鉄道公園の名に相応しく踏切警報機や蒸気機関車の動輪などもあります。遮断機は耐寒・耐雪タイプのものです。

 かつてここが国鉄万字線朝日駅だったことを記す碑です。JRになってからも多くの線区が廃線になりましたが、万字線は第一次地方交通線としてJR移行前の昭和60年4月に廃線となってしまいました。

 ところで美流渡駅側にこの様なホーム跡が存在します。このホームがまた石炭輸送華やかし頃、朝日駅に交換設備があった頃のホームではないかと推測しています。廃線直前には単行の気動車が一日数往復という状態でしたが、最盛期にはかなり長い編成の列車が往来し、この駅も大変賑わっていたことが想像できる遺構です。

住所 北海道岩見沢市朝日町
ホームページ そらち炭鉱(やま)の記憶をめぐる_万字線鉄道公園(旧万字線朝日駅)
近くの宿を探す Yahoo!トラベル楽天トラベル
日本旅行の「JR+宿泊」

おすすめ

記事がお役に立ちましたら、一票お願い致します。