八高線 竹沢駅(後編:貨物側線編)

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 前回駅全体の雰囲気をお伝えした八高線の竹沢駅ですが、今回はお目当ての貨物側線跡について見ていきたいと思います。

 国鉄時代のローカル駅を調べていると「貨物側線」が設置されている駅が多かった様です。ローカル線の駅でポイントのある駅というと列車交換の出来る駅を連想しますが、大糸線の頸城大野駅などは交換設備が無くても貨物側線は存在した位です。

 しかしそんな貨物側線も貨物車を一駅ごとに切り離していたような時代の遺構ですから、現在現役のものは多分ありませんし、ネットで「貨物側線」検索しても出てくる画像は模型か草ぼうぼうの跡ばかりです。なかなか現役当時の姿を連想するのは難しそうです。

 そんなことで悩んでいたら八高線の竹沢駅に貨物側線の遺構があることを知り、早速見に行ってみたという次第です。

 ホームへ入って高崎方へ行くと貨物側線の遺構が残っていました。レールも敷設されたままですが、薄緑色のフェンスはそこそこ新しいので現役時代は無かったと思われます。

 そして画面左側のホームと同じ高さの部分はそれほど長くありませんでした。その奥に少し低くなった部分とコンクリートの柵がありますが、現在は鉄道用地では無さそうです。

 しかしのちほど検証していきますが、この一段低くなったコンクリート柵部分が当時の貨物積み下ろし場だったのではないかと推測できます。

 反対側から見ると旅客ホームと反対側は同じ高さです。現在は車止標識は撤去されていますが、当時の車止、車止標識はどんなものだったのでしょうか。

 車止に近いこの場所は前回もご紹介した油脂庫や納屋が建っており、荷役スペースではなさそうです。また小屋の風貌からいってもかなり昔からありそうな雰囲気です。

 少し冷静になりGoogleの航空写真で俯瞰して見てみると、無理に車止ギリギリに停車させ、現在の倉庫の位置から荷役を行うより、現在空き地の場所にトラックが横付けされていたという考えの方がしっくりきます。

 確かに高崎方の用地は現在JRのものではなさそうですが、既に貨物扱いが終了して60年が経過していますので、用地が売却されていても不思議ではありません。飯田町の貨物ターミナルだった場所でさえホテルが建っています。

 模型視点で見ていると有効長との勝負で長さ感覚が狂うことがありますが、こうして航空地図で見てみるたとえ貨物側線でもしっかり有効長が確保されているのが分かります。

 この駅は前回も書いた通り棒線化されてしまっていますが、奥のS字に分岐の痕跡が残っています。上下線の分岐の内方で貨物側線の分岐が行われています。また貨物側線の分岐部分を見ると横取装置に変更されていますので、線路が残っている理由は保線用に転用されているからと想像できます。

 鉄道模型の指南書を見ると貨物側線とは上屋の付いた立派なものが多く見受けられますが、この駅もまた先程推測した場所に立派な貨物ホームがあったのかもしれません。

 今回は貨物側線が廃止されてから相当の時間がたっていることもあり、現地だけを見て現役当時の姿を思い浮かべることは出来ませんでした。しかし貨物側線が稼働していたころの空気は感じられましたし、本物を見ると次に何を調べるべきかが見えてきます。

 貨物側線の資料をもう少し集めてみて、どんな貨物側線を模型で再現するのか検討していきたいと思います。

住所 埼玉県比企郡小川町大字勝呂719
関連ページ 竹沢駅
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