昭和39年9月の北海道鉄道事情を復刻時刻表を見て想像してみる

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 本日は「時刻表 完全復刻版 1964年9月号 (JTBのムック)」を眺めています。北海道の路線図を見ると鉄道で北海道の何処へでも行けた時代です。廃止となった国鉄の赤字線は勿論、この時代には羽幌炭鉱鉄道や拓殖鉄道もあります。一方地方交通線廃止第一号となった白糠線はまだ開業していないので、今とは別の理由で掲載されていません。そして勿論石勝線もこの頃にはまだありません。

 昭和39年9月というと東海道新幹線開業前夜、まだ日本に新幹線が走っていなかった時代です。北海道に目を向けると青函連絡船は摩周丸と同型の津軽丸、八甲田丸は就航していますが、まだ旧型船が多く時刻表の運行時間は4時間25~30分で結んでいました。

 道内を走る特急は函館から札幌、滝川を経由して釧路、旭川へ行く「おおぞら」一往復のみで、現在の特急「オホーツク」「宗谷」も急行でした。(写真は鉄道模型「カトー(KATO) KATO HOゲージ キハ82系 4両基本セット 3-509-1」で再現しています)


カトー(KATO) KATO HOゲージ キハ82系 4両基本セット 3-509-1

 この時代石勝線はまだありませんので、函館から室蘭本線、札幌駅経由で滝川まで12両編成で行き、そこで切り離し食堂車付き7両が根室本線経由で釧路まで、5両が旭川へ向かいました。ページ後半には編成表も載っています。

 現在の「おおぞら」は札幌発なので、現在の「おおぞら」の他「北斗」「ライラック」を全て「おおぞら」網羅している感じです。青函1便に接続する形で朝4:55に函館を出発、終着駅の釧路には15:25、10時間以上の旅路でした。

 一方普通列車は客車列車が多く、夜行列車も多数運転されていました。そして私鉄線に目を向けてみると羽幌炭鉱鉄道は1日8往復が運転されていました。他にも炭鉱由来の私鉄線は数多く走っていましたが、閉山が相次ぐ昭和40年代以前ですから運転本数も多く活気ある雰囲気です。

 時刻表は文字だけなので想像の世界でしかありませんが、旅客、貨物共に輸送量がどんどん増えていった活気ある頃の北海道が行間から伺えます。


時刻表 完全復刻版 1964年9月号 (JTBのムック)


時刻表復刻版 1980年10月号

 こちらは電子書籍版ですが、表紙を781系が飾っている「時刻表復刻版 1980年10月号」です。北海道最初の電車特急は485系1500番台を使用した「いしかり」でしたが、冬の北海道の気候に耐えられず、その後この北海道専用の781系が登場しました。

 北海道ネタではもう一つこの改正で千歳空港駅(現在の南千歳駅)が開業しました。それをイメージする様に左側の乗客にはスチュワーデスさんが写っています。

 当時の客室乗務員の呼称ははキャビンアテンダントではなくスチュワーデスです、髪型にも時代を感じますが、それ以前に制服で通勤していたのでしょうか。偶然なのか、演出なのか気になるところです。

 他にも「時刻表復刻版」で検索してみると色々出てきますので、知りたい時期がありましたらその頃のダイヤへタイムスリップすることが出来ます。

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