青函連絡船 補助汽船「かつとし丸」の活躍

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 青函連絡船は現在函館と青森に残り、本船の現役時代は色々と語り継がれています。またネットを検索したら色々な情報が得られます。しかし連絡船の入港を影で支えていた補助汽船の話となると非常に少ないのが、連絡船終航後35年以上経った現状です。

 そこで函館に保存されている摩周丸等の入港を影で支えた補助汽船「かつとし丸」の写真を紹介したいと思います。

■ かつとし丸の話をする前の予備知識

 何千トン、何万トンという大きな船は大量の旅客や貨物を運べる反面小回りが効きません。そこで昔は補助汽船(タグボート)と呼ばれる小さな船で船体を押して着岸させたり、離岸する時はロープを補助汽船に渡して沖へ引き出して貰いました。

 しかし摩周丸と同型の津軽丸型と呼ばれる船は船首下側にバウスラスターを装着、船を前後方向だけでなく横方向に動かせる様にしました。写真ではプロペラの形の彫刻ですが、実際はトンネルの様に反対側に穴が抜け、そこにプロペラが付いていました。

 このバウスラスターのおかげで出航船は補助汽船の引出しが不要になりました。着岸も時間をかければ自力で出来た様ですが、鉄道連絡船という使命上素早く着眼する為に着岸はバウスラスターと補助汽船の併用で行っていました。

 現在の最新フェリーなどはバウスラスターをサイドスラスターと呼び、複数台設置して出航、着岸ともに補助汽船不要で行っている様です。

■ それではかつとし丸の現役時代の様子を

 桟橋側の作業開始の目安になるのが、入港船が葛登支岬灯台を航過する時刻でした。だいたい着岸予定時刻の30分前になります。ここから作業時間を逆算して補助汽船をスタンバイ、待機場所へ向け出発させていました。航路上を航行する本船が船首を横切ったら作業開始です。

 古い記憶なのでどこが待機場所だったかはもう覚えていないのですが、当時の風景や他に目標物はないだろうということで多分4号ブイ付近の航路の外側で待機していたのではないかと思います。

 画像は海上保安庁が令和2年に発行した航路変更告知のチラシに加筆しました。この時廃止となった第二航路は青函連絡船専用と言ってもよい航路でしたので、青函連絡船がまた一つ遠くなった感じです。そして航路を示す第二浮標、第四浮標も撤去されました。

 船体に接近させたら、本船から「艫(船尾)を押せ」の合図があるまでは本船の脇を並走します。

 補助汽船の進路は本船中央のファンネル(煙突)に船首を向けると綺麗に弧を描いて接近し、その後もスムーズに並走を続けられます。

 「艫を押せ」の合図は本船からの長声汽笛一発です。補助汽船側も長声汽笛を吹鳴させて本船の船尾を押します。本船が「ボー」という低い汽笛に対して、補助機船は「プォー」というラッパに近い高い音の汽笛でした。

 そして本船を押すのですが、いきなり垂直に船首を当てると本船が揺れてしまいますので、写真の様に最初は斜めにそっと当ててそれから徐々に垂直に向きを変えていきました。

 全力で押しています。これで船は急回頭して岸壁と平行になります。そして船は貨車積み込み口を岸に接合する為徐々に後進していきます。

 そして押す力の話ですが、最初は全速で押しその後の加減は二等航海士が岸壁との位置関係を見ながらスピーカーで指示します。「かつとし丸ハーフ(半速)で押せ」「かつとしまるスロー(微速)で押せ」のような指示になります。それに対し補助汽船側は短声汽笛で応答し、速力を半速、微速と調整します。

 「かつとし丸ストップ(前進も後進もしない状態)」の指示が出ると本船を押すのを止め、そのまま傍に寄り添って待機の状態となります。船は所定の着岸位置に向けゆっくり後進しています。

 そして二等航海士からの「かつとし丸レッコー」の掛け声で作業完了です。このカットのみ青森岸壁の写真ですが、着岸作業を見守るように船を後退させて、補助汽船の待機場所に戻ります。

 なお余談ですが、現在の大半のフェリーは岸壁に片側だけで着岸させています。しかし青函連絡船は船尾にレールを接合させて貨車を搭載する関係上、岸壁の反対側にも小さな岸壁を設け、その間に船尾を押し込んで本船をがっちり固定していました。この岸壁の反対側にある小さな岸壁を「副岸(ふくがん)」と呼んでいました。

 こちらは夜間函館山山頂から着岸の様子を長時間露光で撮影したものです。岸壁から随分離れた場所で回頭しバウスラスターやタグで岸壁に寄せているのが理解できます。

 本船の知識は函館の摩周丸、青森の八甲田丸に行けば多くの知識を得ることが出来ます。しかし補助汽船の活躍はなかなか語る人が居なかったのでこうして記事にしてみました。


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