高麗川セメント工場専用線跡(ポッポ道)

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 今回は高麗川駅から太平洋セメント工場へ敷設されていた「セメント工場専用線」の廃線跡を見ていきたいと思います。ここは廃線後日高市に無償譲渡され現在は遊歩道「ポッポ道」になっています。

 遊歩道起点の柵の奥、高麗川駅方を見ると草で覆われていますが、鉄道用地の雰囲気はまだ残っています。写真右に見える線路が八高線、写真左に見える架線柱は川越線のものです。八高線と川越線の間を北上していったのがこの「セメント工場専用線」です。

 いわゆる高麗川駅構内への進入を許可していたのはこの入換信号機と進路表示器です。場内信号機ではありませんから、この専用線も高麗川駅の構内の一つということだったのでしょう。入換標識の下に淡紫色の灯がありますので、これが点灯した時は入換信号機となり操車掛の先導無しで進むことが可能になります。

 その更に外方には「再確認」の標識があります。先程の入換信号機を通過する前に必ず何かを確認していたのでしょう。現車両数、時刻、発着番線・・・ここで何を確認していたのでしょうか。

 それでは早速この遊歩道を見ていきましょう。ゆったりカーブした築堤はかつてここに線路があったことを感じさせるには十分な雰囲気です。

 最初の踏切に差し掛かりました。そしてその奥には八高線が走っています。八高線の踏切を渡り左に曲がってそのまま直進すると高麗川駅です。

 遮断機以外の踏切設備が残っているのに線路が無い、不思議な光景です。

 この廃線跡は太平洋セメントから日高市が無償譲渡を受け遊歩道として整備しています。そしてその周辺には住民が花を植え四季折々の花を咲かせています。

 昔は継電箱なども残されていたようですが、遊歩道になってからでも既に15年経過していますので、今回訪れた際は他の鉄道設備を見つけることは出来ませんでした。

 踏切脇にある柵は廃枕木を再活用したものです。何箇所か踏切が残っていますが、この専用線では踏切脇の柵は全てこのタイプの様です。

 営業当時は全長1.4kmだった様ですから恐らく遊歩道の長さは1km前後になろうかと思います。歩いていくとまた踏切が見えてきました。踏切は何箇所かありますが、警報機が残っているのは先程の駅近くとここ2か所です。

 ここは線路と道路の境界柵も残っており、廃線跡という雰囲気が色濃い場所です。

 そしてもう一か所の残った警報器です。一般的な警報機の他、四種踏切の様な標識も併設されており面白い雰囲気です。

 また踏切脇にはこんな「線路内歩行禁止」の標識もあります。「列車本数が少ないから・・・」と軌道をショートカットされない様に立てたものでしょう。現在は遊歩道で線路はありませんので歩行はOKです。

 そして「市役所通り」と呼ばれる通りで遊歩道も終了です。道路を渡れば太平洋セメントの工場敷地です。この一角だけは線路も残されているので、余計に廃線跡を感じられます。

 遊歩道終端に設けられた看板。工場をバックに向かってくるDD51重連の姿が胸熱です。この線の廃線、八高貨物廃止云々もそうですが、全国どこで見られたDD51の定期運用も日本全国既に終了しています。ずいぶん時間が経ちました。

 そして市役所通りを渡り専用線跡は工場敷地内へと消えていきます。

住所 〒350-1205 埼玉県日高市原宿88−8
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