航海船橋(函館市青函連絡船記念館摩周丸)
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本日は函館の青函連絡船「摩周丸」の航海船橋(ブリッジ)を見てみたいと思います。現役時代は乗組員がここで船を操舵していた場所ですから、お子様から大人の方まで一番楽しめる場所ではないかと思います。
そして機器の意味の一つ一つが分かれば、もっと楽しめるスポットだと思いますので、分かる限り詳細に書いていきます。なお機器類は壊れてしまったらもう修理が効かないものばかりです、大切に扱ってあげてください、お願いします。
左舷(岸壁)側から見た航海船橋全景です。一番左の筒状のものがジャイロコンパスです。マグネットコンパスは磁北と真北に誤差がある為それを補正してあげる必要があります。しかしこのジャイロコンパスは地球ゴマの原理を使って真北を示しますので、計器航行には必須のアイテムです。真北を示すだけでなく、自動操舵やレーダー画像の解析にも利用されています。
そしてその奥のデスクに船の制御機能が集約されています。一番関心の高いところだと思いますので、これから詳細に解説していきたいと思います。
ここは入出港時三等航海士が立ち、エンジンテレグラフを操作した場所です。左右のプロペラ、バウスラスターの翼角制御、エンジンテレグラフの操作、艫艏(とも、おもて)との連絡を担います。
操船用の機器も実際に触ることが出来ます。現在残っているのはこの函館の摩周丸と青森の八甲田丸の二隻になりますが、船橋の程度が良いのは摩周丸です。また運が良いと連絡船のOBがガイドしてくれることもあります。
船員の交代は函館で行われていましたので、船員の多くは函館に居住しており、そういう面でも函館側で保存されている摩周丸の方が有利です。当時の操船要領も別記事にまとめてみましたので、全4回ですが読んで頂くと機器の操作方法が分かると思います。OBのガイドが在室していなかった時に、参考にして頂ければ幸いです。
ここは操舵手の守備範囲です。車のハンドル同様左右に舵を切って船の方向を変えます。操船の号令は基本英語で行われますが、左右はレフト、ライトではなくポート、スターボードとなります。左右を示す頭文字もL、RではなくP、Sで表記されています。
そしてここに通信関係の機器がまとめられていますが、ここで扱うのは船内の内線です。船が新造された昭和39年といえばまだ会社の電話には交換所があった時代です。現在ならここまで大掛かりなスペースは要らないでしょう。
日常的には天候を勘案して、搭載された8台のエンジンのうち何台のエンジンを使用するかなど機関部とのやりとりに使われていました。そして左上にあるインターホンは船長室との直通です。
そして右上の「専用VHF」は音声で伝えられる無線です。VHF帯はそれほど距離は飛びませんが音声で伝えられるので、雁行する僚船や桟橋とのやり取りに使われました。函館行きの下り便は葛登支岬灯台、青森行きの上り便は湯の島を航過時にこのVHF無線で桟橋に航過時刻を報告しました。そしてそれに応える形で桟橋側は港内模様と着岸岸壁の指定を行いました。
摩周丸「函館、函館、こちら摩周丸どうぞ」
桟橋「摩周丸、摩周丸、こちら函館どうぞ」
摩周丸「本船、葛登支航過8時45分でした。港内模様どうぞ。」
桟橋「21便葛登支航過8時45分了解しました。港内模様は北の(風)4m、岸壁は1岸です」
摩周丸「了解しました、摩周丸さよなら」
桟橋「函館さよなら」
35年以上前のことなので、細部に間違いはあるかもしれませんが、こんなやり取りです。最後の「さよなら」というやり取りは独特で今でも印象によく残っています。
葛登支岬灯台、湯の島航過が着岸約30分前でスタンバイの目安でした。船は長声を2発を吹鳴し、着岸の準備を始めます。そして桟橋や補助汽船もこのスタンバイから時間を逆算し本船を迎え入れる準備をスタートしていました。
船橋の左舷後方は出入港時船長が立つ場所でした。汽笛を鳴らすボタンや右側にはバウスラスターを操作する機器もあります。岸壁に着岸、あるいは離岸する時は特に神経を使う場面で、船長はここから岸壁と船の位置関係を見定めてこまめにオーダーを出していました。
ところでこの場所には灰皿が設置されていますが、ヘビースモーカーの船長は神経を使う入出港時に煙草を何本も吸いながら操船の指示を出していたと聞きます。令和の今なら考えられない光景かもしれませんが、昭和の時代に役割を終えた船だからこそ灰皿もしっかり残っています。
そして船橋右舷側にあるのがレーダー(手前)と情報処理装置(奥)です。情報処理装置は当時は「CAS(キャス)」と呼ばれていました。現在の障害物の状態はレーダーで捉えることが出来ますが、航行中の船舶などは情報処理装置が演算して針路を画面に表示してくれました。
こちらは再現画面ですが、白黒の画面下側に下北半島、上側には函館港が見えます。現在のレーダは液晶モニターにカラー表示されますが、当時はこの様なブラウン管の白黒(というか緑黒)です。
船橋前方には函館山、そして右舷側には新設されたクルーズ船用の岸壁が見えます。手前に見える島は人工島緑の島です。函館港はご覧の様に港内が狭いので出航と同時に船首を右に振って岸壁から離れていきました。
下にある黒板は最上段に日付け、便名を記入します。Coは針路、Currentは潮流、Draftは吃水でF(Fore)が船首、A(Aft)が船尾、M(Mean)は平均です。
船橋後方には航海の安全を願う金毘羅様の祭壇が祀られています。どんなに技術革新が進んでも最後は神頼みというところに船乗りの海への敬意、畏怖の念が現れている気がします。令和になり船橋から灰皿が消えても、この金毘羅様は最新鋭の船舶にも標準装備なのです。
そして画面右奥に少し見えている部屋が通信室です。現在はこんな大々的な通信室がある船もありませんが、貴重なものなのでまた機会があれば解説したいと思います。
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住所 | 〒040-0063 北海道函館市若松町12番地先 |
ホームページ | 函館市青函連絡船記念館摩周丸 |
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