通信室(函館市青函連絡船記念館摩周丸)

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 前回の船橋に続いて今回は通信室をご案内します。ただ通信部の仕事については詳しくないので、本当にサラッとした表面的な解説になりますが、見学の際の参考になれば幸いです。

 通信室全景です。廃止直前では通信長一名の乗務でしたが、昔は次席通信士、三席通信士と複数乗っていたようです。また石狩丸、檜山丸、空知丸には通信士は乗務せず、30分遅れて雁行する津軽丸型に通信業務は委ねられていました。

 そして時計下にある「JHMI」は摩周丸の通信局の名前です。この文字列の並びはただ一つで「JHMI=摩周丸」です。ちなみに青森に係留されている八甲田丸は「JRRX」です。

 ところで15分から3分間、45分から3分間の部分が赤く塗られていますが、この各3分は「ボリューム」と呼ばれる500kHz帯で電波を発信してはいけない時間でした。まだ通信がモールスだった時代に、遭難船がSOS信号を発しているのを通信を止めて聞く為に、一般的な通信はこの時間に発しないという国際的な取り決めになっていました。

 しかし1999年に世界海洋遭難安全システムが登場し、モールスによるSOS信号が廃止されたこともあり、現在はこの義務も無くなったそうです。(私はモールスやこの聴守義務が廃止されたことも知りませんでしたし、「もうこんな通信室は今の船にない」と聞かされて浦島状態になっています。)

 船内の時計はここで制御されていました。JSTは日本標準時の意味です。通信業務だけでなくこの様な電気関連の保守も通信士の業務の一つでした。

 そんな電気のプロフェッショナルですから、以前ご紹介した「船舶位置自動表示装置」なども発明して作ってしまうわけです。

 そして通信士の日常業務ですが、ここはここで多忙な3時間50分でした。公共性の高い船でしたから、海峡の天気を送信したり、逆に灯台からの気象情報を受信して甲板部へ伝えたり、JMC(船舶気象無線通報)から送られてくるFAXを受信したり、業務は多岐に渡りました。

 また携帯電話の無い時代ですから、案内所で受けた電報の依頼などを送信したりするのも通信士の重要な仕事でした。

 モールスを打つ縦振り式のキーです。現役時代この形状のキーもありましたが、実際に通信士が使っていたキーは横振り式でした。モールスというと「トン、トン、ツー」と牧歌的に打っているイメージかもしれませんが通信士の打鍵は超高速です。Youtubeに「高速でモールスを打つ局と交信」という動画がありますが、記憶ではこれ位の速さで打っていました。キーも横振り式でまさにこんな雰囲気という動画です、参考まで。

 右のインターホンは船橋にあったインターホンと対になるもので、船橋とのやり取りもこのインターホンで出来ました。

 その左にあるのはVHF帯の無線機です。電話の受話器と同様の形状ですが、一般の無線同様片側が喋っている時は反対側は発信できません。音声を伝えられるという簡便さはありますが、距離が飛びませんので、雁行する僚船や湾内に入ってからの桟橋とのやり取り等に使用されていました。


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住所 〒040-0063 北海道函館市若松町12番地先
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