昭和61年に製造されたKATO HO(16番)DD51

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 KATOのHO(16番)のDD51が先日中古店に箱無し、現状渡しで7,000円で販売されていました。カプラーが折れて交換が必要ですが、車体は綺麗で重連の後位なら十分務めてくれそうです。レジへ持っていくと店主曰く「これは一番最初のロッドだよ、ジャンパ線が無いから」とのこと、よく見ていなかったので気づきませんでしたが実は結構貴重な車両だった様です。

 KATOのHO(16番)のDD51は調べてみると昭和61年(1986年)に登場しています。35年を過ぎてもう少しで40年経とうとしている今も再生産が続いているのですから、当時の金型技術がいかに凄かったかだと思います。

 気付いたところで現行製品との違いはカプラーの構造、車輪が銀色、ヘッドライトが麦球、ジャンパ線が同梱していなかった位であとは同じな様です。ジャンパ栓は目標になる印のみ付いていますから「市販のロスト品を装着してください」ということだったのでしょうか。

 先述の様に金型は凄いKATOですが、「プロトタイプ」という点では昭和特有の甘さもあります。このナンバー「DD51 667」の実機は米子機関区所属で山陰の客車列車の先頭に立っていました。実車は温かい地方なのでワイパー付きで旋回窓の車両ではありません。

 しかしこの模型は旋回窓です。現在は暖地型(702A)がワイパー+カバーなしホイッスル、寒地型(701A)が旋回窓+カバー付きホイッスルとバリエーションがありますが当時はこの1タイプのみでした。

 ちなみに米子区の667号機はワイパー+カバー付きのホイッスルになっています。模型の組み合わせとは逆になりますが、米子区のDD51は他にもこの組み合わせがありした。そして667のラジエターカバーは3分割タイプでやはり模型と異なります。つまりこの模型はホイッスルも旋回窓もラジエターカバーも全て実機と違います。

 しかし昭和60年頃といえば模型のラインナップも圧倒的に少なく、種類の豊富なNゲージでさえDD51なら暖地の寝台特急「出雲」も酷寒地の急行「ニセコ」も、重連制御が出来ない初期のDD51が牽引していた20系「さくら」も持っている一両で牽引して遊んでいた時代です。40年前ならこれで良かったのかもしれません。

 横からDD51を眺めます。実際ラジエターグリルの網は貫通していませんし、ステップ下にある網の奥にタンクも入っていません。しかしこれらをモールドで表現しているのですから、当時としては凄い技術です。ラジエターカバーは貫通した網に見えますし、ステップ横の網からは奥の丸いタンクらしき物体が見えます。

 当時のNゲージを思い出してみるとKATOはこのクォリティでNゲージでもステップ横の網の奥にタンクがある様にみえました。一方TOMIXはもう少しゴツい感じでした。現在では細部に拘りその分高価なTOMIX、程良くまとめて手頃な価格のKATOという印象ですが、当時ディテールのシャープさでは圧倒的にKATOでした。

 当時のカプラーが折れていましたが、当時はオハ43、35などに使用されているカプラーが標準でしたので、早速交換してみました。

 基本設計は現行品も初期ものと変わりませんから、車番を寒地のものにしてホイッスルをカバー付きに変更、ヘッドライトをLEDにして、ピンバイスで穴開けしてジャンパ栓を装着すれば半日程で現行品仕様になりそうです。

 しかし重連の次位に連結すれば細かいディテールは目立ちませんから、KATO16番黎明期を語る1両として当時のまま遊び続けるほうが良いのかなとも思っています。


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